みそなめ地蔵尊

伯耆誌によれば、現在の入船町に泥蓮寺という小さなお堂があり、ここにまつられていた延命地蔵が【みそなめ地蔵】と呼ばれていたという。『みそなめ』とは、みそを塗って願を掛けるところに由来する。
当時の人々が、生きる上で不可欠な味噌を嘗め、身代わりとなって苦しみを引き受ける(代受苦)地蔵さまは、その尊さ・慈悲深さゆえに、世代を超えて信仰されてきた。今も地域の人々の”健やかな暮らしを見守り続ける”お地蔵さまとして、深く慕われている。多くの参拝者を迎えているこのお地蔵さまは、特別な親しみをこめて『みそなめさん』とよばれる。

なお『みそなめ地蔵祭』は〝境の大祭(おおまつり)〟と云われ、8月24日の地蔵盆には夜を徹して境さんこ節を踊り賑い、現在の安来節の元になったと云われている。江戸時代、全国津々浦々を巡る北前舟の寄港により、民謡等の交流も盛んとなり、「佐渡おけさ」「追分節」等々が各地でアレンジされた新たな文化が育まれたものと考えられている。

© 2024 浄土宗 光祐寺